自分への嘘をやめる、はじめの一歩

読み物

心の声の聴き方を思い出す

自然体の探求誌
「自分と向き合う」とはどういうことか/

「自分へ嘘をつくから、何をしたいのか、何が好きなのかもわからなくなる」
なんてことを上の記事で書きました。

ここでは、心の声の聴き方を思い出すはじめの一歩を解説します。

心の声の出どころはどこだろう

あなたが心の声の出どころ、と言われて思い出すところはどこだろう?
胸の奥にあるハートだったり、カラダに置ける本能を司る部位だったり、あるいは魂と答えるかもしれない。

さまざまな哲学や思想、宗教で「心の在り処」について説かれている。

ある思想では、心臓・腹部・胸部に宿るとされたり
またある思想では「心とは宇宙そのもの」だと言い
また、現代科学では「脳機能」の一部とされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/心

現生人類の歴史はおよそ約30万年前とされていて、文明ができてからはおよそ1万1,000年前ということになっている。

これだけ多くの歴史を歩んでいるのにも関わらず、明確な答えなど存在しない。
※そもそも絶対的に正しい明確なんて存在しないけど…

となると、
①先人が記して繋いでくれた情報
②自らの実感をもとに判断する

この二つが「心の在り処」へ辿り着くヒントになる。

やってみる

ここで実行する方法は、瞑想方法の一種でもあるしチャネリングの一種でもある。

まずはその場で目を閉じて、「今、トイレに行きたいかな?」とたずねてみて欲しい。
これは日々、毎日無意識に行っているはずの方法なので、簡単に返答を得ることができるはずだ。
他には空腹かどうかをたずねるのも良い。

大切なのは、この返答の「出どころ」がどこかを探ること。
人によってはお腹の人も居るし、胸の人もいるし、頭やその上から、と感じる人も居るだろう。それで良い。

大切なのはあなた自身がどんな実感を得ているかだ。

客観的な正しさなんてどうでも良くて、優先すべきは自らが得た実感。
あなたが得た感覚は、間違いなく体感した事実であり、誰かから植え付けられた情報でもない。
純然たる、あなたの内部で起きた事実だ。

目に見えないが、確かに存在する心の中、つまり「内部表現」。
見えないけど、確かにその存在があるもの。

これを何度も繰り返し繰り返し、実行してみて欲しい。

トライ&エラー

この方法を繰り返すこと、やがては何が嫌で何が望ましいのか。
見栄も社会的な正しさも無視した、あなた自身のプレーンな「心の声」が聴こえる様になってきているはずだ。

ここまできたら「自分への嘘」を辞めるのは簡単で、嫌だと思うことは言わないし、やらない。これを繰り返すだけで、あなたの周りの環境も徐々に変わってくる。

もちろん、はじめは上記のような振る舞いをするには、大きな勇気がいるだろう。
これを書いている僕自身も、今でも自分に嘘をついてしまうことがある。

それは、過度に気遣いをしすぎた結果だったり、過去からの習慣を変える面倒さも要因の一つになっている。

それでも、僕は日々試し続けている。
自らの行動が起こした不都合を時には向き合い、時には逃げながら。

自分への嘘をやめる、というのは「自らの人生の責任を引き受ける」ということだと思う。
人に合わせることで、責任の一部が他人へ移動している。
社会に合わせることで、責任の一部が社会へ移動している。

これを僕自身は「無責任」な振る舞いだと考えている。
もっと言うと、心の声に対する無責任

大きな責任は大きな力とトレードオフの関係にある。
責任を他者や社会へ明け渡すから、力が備わってこない。
※ここでいう力とは「権力」のことではなく「主体性」のこと

つまり、自らの「心の声」に対して日々、責任を引き受けて行動しよう。
ということだ。

責任を引き受けるから「心の声」はあなたの理性を邪魔する「敵」ではなく、常にそばにいてくれる「味方」となる。これは心強いし、内面にしか存在しないので誰にも奪うことはできない。

物質や権力は常に「奪われる」危険を孕んでいる。
非物質であれば、構造的に奪うことはできない。
※もちろんこれが過度に働くと執着になるし、他者から植え付けられた擬似的な神になると、これは新たな執着を生む。

まとめ

少し話が脱線した。

まとめると、心の声を聴くためには、日々心にたずね続けて行動をする。
そして、その行動から発生する責任と向き合うこと。
ここでいう「向き合う」とは、責任へ対応することで逃げることも含んでいる。

これらを一瞬一瞬に、繰り返す。
ただそれだけ。子どもの頃は自然にできていたことを、今改めてやり直すだけだ。



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