三途川の起源、伝承、および関連する仏教的・民間信仰要素について

三途川(さんずのかわ、さんずがわ)の起源、伝承、および関連する仏教的・民間信仰要素について
※wikipediaの情報をnotebookLMによってまとめて、抽出した記事です。

三途川は、此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川です。


1. 起源と仏教的要素

起源としての仏教的典拠

「三途」という名称は仏典に由来し、**餓鬼道・畜生道・地獄道という「三悪道」(三悪趣)**を意味します。

三途川の出典とされるのは『金光明経』の「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」という記述です。この地獄・餓鬼・畜生を指す三悪道を、広く「三途川」と称する典拠であるといわれています。

十王信仰による伝承の確立

三途川の俗説としての典拠は、主に『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称:地蔵十王経)に基づいて広まった十王信仰によるものです。

  • 『地蔵十王経』は中国で成立した経典です。
  • この経典の日本への渡来は飛鳥時代と考えられ、信仰として広まったのは平安時代の末期とされます。
  • 正式には「葬頭河」といい、「三途の川」・「三途河」(しょうずか、正塚)・「三瀬川」・「渡り川」などとも呼ばれます。

関連する仏教的世界観

「三途」が指す三悪趣は、仏教における衆生が業の結果として輪廻転生する「六道」(六趣、六界)のうちの下位の世界です。

  • 六道は、天道、人間道、修羅道(三善趣)と、畜生道、餓鬼道、地獄道(三悪趣)から成ります。
  • 十王信仰は、死後、次の生を受けるまでの期間である**中陰(中有)**の間に、閻魔大王ら10人の裁判官が死者の罪を裁くという考えに基づいています。閻魔大王は十王の一人です。

2. 伝承と民間信仰要素

三途川の伝承には、民間信仰が多分に混じっています。

渡河方法と罪の軽重

三途川を渡る方法には、初期には「渡河方法に三種類あったため」という説が、三途川の名の由来の一つとされることもありました。渡河方法は、死者の生前の行い(罪の重さ)に応じて決まります。

  1. 善人: 金銀七宝で作られた橋を渡ります。
  2. 軽い罪人: 山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡ります。
  3. 重い罪人: 強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡ります。強深瀬では、罪人は悪竜の棲む急流に投げ込まれる様子が『十王図』に描かれています。

懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)

三途川には、十王の配下に位置づけられる老夫婦の係員、懸衣翁と奪衣婆がいます。

  • 彼らは六文銭を持たない死者に対し、渡し賃の代わりに衣類を剥ぎ取ることになっています。
  • 懸衣翁は亡者から剥ぎ取った衣服を衣領樹にかけ、その衣服の重さで罪の重さを量るとされています(『十王図』にもこの姿が描かれています)。
  • 奪衣婆は、江戸時代末期に民衆信仰の対象となり、像や堂が造られるなど、広く信仰されました。

賽の河原(さいのかわら)

三途川の河原は「賽の河原」と呼ばれます。

  • これは、親に先立って死亡した子供が、親不孝の報いを受ける場とされます。
  • 子供たちは、親の供養のために積石塚(石積みの塔)を完成させようとしますが、鬼が来て塔を破壊し、これを何度も繰り返さなければならないという俗信があります。この伝承から、「報われない努力」「徒労」を意味する言葉として「賽の河原」が用いられます。
  • しかし、その子供たちは最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされます。
  • 賽の河原の信仰は、仏教の地蔵信仰と、民俗的な道祖神である賽(さえ)の神が習合したものであり、仏教とは本来関係がない民間信仰による俗信です。

平安時代の俗信

平安時代中期(10世紀中頃)の日本の俗信には、「女性は死後、初めて性交をした相手に手を引かれて三途の川を渡る」というものがありました。『蜻蛉日記』には、初の男が背負って渡るという意味の歌が詠まれています。このことから、平安時代には既に三途川信仰が多様に日本でアレンジされていたことがわかります。

比較神話学における類似の概念

彼岸への渡河や渡航の概念は、オリエント起源の神話宗教から広く見られます。三途川に類似した役割を持つ川としては、以下のようなものがあります。

  • ギリシャ神話: 冥府の川ステュクス
  • 中国伝承: 忘川や奈河(奈河橋があり、記憶を消去する孟婆湯がある)。
  • ヒンドゥー教: ヤマ神の町の南門に流れるVaitarna River。

三途川の概念は、仏教の「三悪道」という教義を基盤としつつ、中国起源の十王信仰や、日本独自の民間信仰(奪衣婆、賽の河原、女性の渡河俗信など)が融合し、形成されていった複雑な信仰体系であると言えます。これは、あたかも多様な川(信仰)が合流して、一つの大きな流れ(三途川の伝承)を作り上げている様子に例えることができるでしょう。。